ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、幸福について、かく語りき

 

 幸福は、色々捨ててから、やって来る。不幸は、色々と持ち過ぎるから、やって来る。

 

 幸福は、日常の中にあるものであって、空想の中にあるものではない。

 

 幸福は、掴んだ瞬間、幸福じゃないような気がしてくる。

 

 自分だけの幸福は、うしろめたいばっかりで、次第に、幸福じゃなくなっていく。

 

 何も起きないという幸福。そして、幸福という退屈。

 

 計画を立てるのが好きな人、実現しなくても幸せな人。

 

 面倒臭がりでいられる人、幸福な環境。

 

 やたら忙しいのも、やたら暇なのも、幸福の証。

 

 不幸な人、他人の悪い面より、良い面ばかり見て、自分を嘆く。

 

 不幸な人ほど、小さな幸福を発見する能力がある。

 

 不幸な人でも、基準だけ変えれば、不幸でもない人に変身出来る。

 

 一瞬だけなら、どんな人生にも、輝きがある。

 

 幸福な人ほど、無意識に自爆してしまうものである。

 

 何かひとつ興味があれば、それが生きる理由になる。

 

 花(人生・才能)は、いつも予告なしに開く。

 

 欲張らない、憎まない、先のことは考えない。これを守るだけで、少しは気が晴れる。

 

 幸福も不幸も、本当に強引な訪問者である。

 

 長い幸福も、長い不幸も、どちらも、その後の幸不幸の物差しを狂わせる。

 

 幸福な人は俗である。不幸な人は、もっと俗である。

 

 幸福と思い込むのも知性なら、思い込めないのも知性である。

 

 

 

 

イナシデス、美学について、かく語りき

 

 美学とは、他人には分からない、自分の価値観のことである。

 

 自分の美学がある者、他人の批判も嘲笑も恐れたりしない。

 

 自分の美学がない者、他人の言いなり、世間に合わせて生きるだけ。

 

 嘘をつき、嫌われて、反省するようでは、真の嘘つきではない。

 

 ケチなことをし、嫌われて、反省するようでは、真のケチではない。

 

 自尊心を半分にすることは出来る。しかし、更に半分には出来ない。

 

 誰に対しても同じ扱いをすることが、公平と言うなら、私は不公平を支持する。

 

 人を見る目のない人間に、馬鹿にされるのは、本当に光栄である。

 

 世間の批判も、たまに浴びるくらいなら、結構、心地良い。

 

 変化がないのも、罰と同じ。

 

 人並みという自覚のある人、自分を省みない。そのくせ、人並みとは言えない他人を、責めたがる。

 

 与えたがる人、凡人。貰いたがる人、凡人以下。

 

 お気楽に生きる、大変な才能。

 

 あるのに欲しがるな。なくなってから、欲しがれ。

 

 所有しようと思わなければ、失なうこともない。

 

 野心のある人、ない人の倍、あちこちで頭を下げている。

 

 大きな社会的成功を願っている者は、誰の悪口も言わない。

 

 人生は全て、ぶっつけ本番。

 

 二周しても、三周しても、分からない時は、もう一周するしかない。

 

 言い訳がましい文明人であるより、単純な野蛮人でありたい。

 

 

 

 

イナシデス、またまた皮肉ばかり、かく語りき

 

 賢い人間は、不自然である。馬鹿な人間は、自然と馬鹿なままなのに。

 

 何も考えていないから、自信満々というのが、最も喜劇的である。

 

 この世には、善も悪もなく、ただ、それぞれのご都合主義だけがある。

 

 大半の人間は、自分が反面教師と思っていた者と、同じ失敗をする。

 

 溺れて藁を掴む者を笑いながら、自分もそうなれば、同じことをしてしまうのが人間。

 

 小市民は、普通というだけで思い上がっている。しかも、大半は普通以下である。

 

 顔が老けている人、時間を止められる人。

 

 反省し過ぎる人、行動力なし。

 

 欲張ったことを反省したところで、無欲になれる訳じゃない。

 

 比較したがり、情緒不安定。比較しない人、客観性なし。

 

 つまらないことで笑う人、つまらない人。面白いのに笑わない人、最もつまらない人。

 

 占いは統計学である。しかし、数えたところで仕方ないもので、完成されている。

 

 急に来る人、迷惑な人。行っても良い?と訊いたら、断られる人。

 

 居留守を使うことのうしろめたさを、招かざる客は分かってくれない。

 

 話の下手な人と長話すれば、あっちこっちに誤解が拡がる。

 

 優し過ぎる人、下心がある人。または、そう思われることを恐れない人。

 

 最悪のことは、簡単には起きない。起きた時には、既に死んでいるから、心配には及ばない。

 

 自殺した人は、むしろ、幸福だった時期が長かったのかもしれない。

 

 老人が綺麗事に走るのは、天国を意識しだした証である。

 

 精神を軽んじれば、精神から、知性を軽んじれば、知性から、肉体を軽んじれば、肉体から、きっと復讐されるだろう。