イナシデス、外国・外交について、かく語りき
愚かな近隣諸国との交際より、優先されるべきは、優れた遠国との交際である。
外国は、貿易相手であり、観光地に過ぎない。外国に、それ以上のものを求めることは、外交的失敗のもとである。
ある国が、ある外国の動向ばかりを気にするのは、その国を尊敬する(怖れる)が故である。
弱い国家ほど、外国と戦争して、勝てると思い込んでいる。弱い国家の権力者ほど、国民に嘘を吐くから。
権力基盤の脆弱な国は、結果として、外交的約束を守れない。
人口の多い国は、大国ではない。正確には、小国の集まりである。
現状の統治が、上手くいってない国ほど、分不相応な、領土的野心を、燃やし続けている。
愚かな国でも繁栄はする。しかし、何故、繁栄したか、分かっていないから、すぐに停滞する。
愚かな国を相手に得た利益は、後で必ず、失われる利益に過ぎない。
愚かな外国を支配しようとすれば、自国もまた、愚かになっていく。
愚かな国を建て直すのに、最も有効な手段は、まともな国の、支配を受けることである。
親切な国は、戦争も強いという、以外な事実・・・。
外国の文明を、上手く吸収出来る国の料理は、美味い。
国民の衣服の着こなしが、洒落ている国は、侮りがたい。
外国の不幸を、心底、喜べる国は、幸福である。ただし、軽蔑すべき、幸福な国である。
自国を変えること以上に、外国を陥れることに、夢中になれる国は、権力者や民が、自国に希望がないことを、重々、知っている国である。
最も愚かな国の、三大特徴は「見栄を張る」、「やっかむ」、「すぐ怒る」である。
愚かな外国は、罵る価値も、ひっぱたく価値もなく、まして、手を差しのべるなんて、後悔するだけである。
愚かな国が滅んでいくことは、その国の民にとっては、この上ない幸運であり、近隣諸国にとっては、この上ない負担(不運)である。
愚かな国と同盟をするくらいなら、戦争をする方がマシである。しかし、その戦争の目的は、相手を滅ぼすことではなく、飲み込むことでもなく、「近寄るな!」と、警告することである。
イナシデス、読書について、かく語りき
面白い本とは、読んで、記憶に残るものというよりは、読んでいる時、今を忘れさせてくれるものである。
良い本と出会いたかったら、その何倍も、悪い本との出会いをしなければならない。
一冊の良書は、百人とのお喋りにも勝る。
良い本は、何度、読み返しても楽しめる。悪い本は、何度、読み返しても、同じようなところで、断念する。
つまらない本ばかり、勧めてくる友人とは、縁を切った方が良い。面白い本ばかり勧めてくる友人も・・・もしかしたら、人生の邪魔といえる存在かも知れない。
恋愛において、読書の趣味なんてものは、意外と問題にならない。
残念ながら、我が国で、読書好きを自認する者たちは、インテリより、インテリ風の方が、圧倒的に多い。
一流の読書家は、飛ばし読みが上手い。三流の読書家は、いつでも、熟読。
一冊の本を読むことで、解決するような悩みは、本当の悩みではない。
人生の答えが、たくさん載っているという触れ込みの、本の作者は、きっと、詐欺師である。
思い上がった人間は、本をたくさん読んではいけない。何もかも、知ったつもりになって、すぐ、誰かをバカにするから。
どんなに分厚い本を読んでも、そこから得られる知的栄養など、たかだか数行分である。
本で得た知恵や知識は、意外と、すぐ忘れる。
人生に成功すると、読書の時間は奪われる。それが嫌なら、さっさと失敗すること。すぐに、読書の時間が与えられるから。
短い時間は、読書に費やしなさい。長い時間は、読書以外に費やしなさい。
一冊の本に、すぐ影響を受ける者は、読書家とは言えない。
一万冊の読書をした者は、きっと、誰の影響も受けなくなるだろう。ただし、人生の大半との引き換えで、得るほどのことではない。
本を読むのは簡単である。内容を覚えようとしなければ。本を書くのも簡単である。内容なんて、気にしなければ。
本をたくさん読んでいると、世の中には、知らない方が幸せなことも、結構、あることに気付く。
「本を枕にして眠ると、賢くなる」 という迷信を実行する者は、今、私が作った「本で頭を殴ると、賢くなる」という迷信も、実行するに違いない。
イナシデス、不倫について、かく語りき
不倫をしている者に対して、過剰に責めたがる者は、不倫をするより、不幸な結婚をしている者かも知れない。
モテる人間が、不倫を批判しても、説得力がない。モテない人間が、不倫を批判しても、やっかみでしかない。
モテない人間の不倫には、金がかかる。モテる人間の不倫には、金が入る。
他人の不倫を問題視したがる妻ほど、自分がモテていないし、夫もモテていない。
個人差はあれど、妻が、夫の不倫を許せないと思う理由は、嫉妬四割、道義性三割、そして、経済問題(愛人に金を持っていかれる心配)が、三割である。
より欲情的な要素が濃い浮気は許されて、ちゃんと恋愛的要素がある不倫は許さない、そんな妻が多いことは、女という生き物が、いかに合理主義的かが分かる。
不倫は、世の中で、最も盛り上がる、井戸端会議の議題のひとつである。
不倫は、夫婦と、その愛人が納得しているのなら、大した問題ではない。
自分に対して、配慮の足りない夫(妻)より、自分に対して、きちんと、配慮してくれる者(愛人)を好きになる心理は、特に珍しいものではない。
不倫は、その夫婦に、子供さえいなければ、独身者の浮気と、特に大差はない。
不倫をしたら、子供が可哀想、なんて言うタイプの人間ほど、不倫をして出来た子供を、差別するタイプだったりする。
うしろめたさのない不倫は、不倫の上級者のする不倫ではない。
不倫の逆説、うしろめたさもまた、快感の手助けをしている。
不倫は、自由な人間の行為ではない。自由を失ってもいい、と思う人間の行為である。
勢いでする不倫は、勢いでする結婚より、不幸になる可能性が高い。
不倫は、秘密を守ることの大切さを学ぶ、授業である。
不倫をしている夫(妻)に対する、復讐方法は3つある。夫(妻)を責める、愛人を責める、自分も不倫をする。
不倫を問題視したがる人の大半は、それを個別に評価せず、一般論で評価している。
不倫願望は、大半の者にある。しかし、それを実行するために必要な、自身の魅力や経済力は、大半の者にない。
不倫からの略奪愛を、世の中が賛美するほど、大衆というものは、自信家ばかりではない。