ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、苦悩(悩み)について、かく語りき

 

 悩みの多い人間は、知的ではない。悩みのないことこそ、知性の裏返しかも知れない。

 

 悩みなんて忘れろ、と言われても、忘れることは、覚えることより、難しい。

 

 所詮、誰かに話せる悩みなんて、どこか、自慢げですらある。

 

 悩み相談の上手な者、たいがい、おしゃべりという、欠点を持っている。

 

 恋愛の悩みは、聞きたがる者も多い。金銭の悩みは、誰も聞いてくれない。

 

 私は、人には相談しない、いつも決まって、本に相談する。

 

 それが、たとえ、どんなに浅はかな答えでも、本人が決めたことなら、それで正しい。

 

 悩みは成長する、変身もする、増殖もする。その悩む者を、鍛え上げるために・・・。

 

 悩みがあるということは、選択する楽しみがある、ということである。

 

 悩みが深いということは、考える楽しみがある、ということである。

 

 10年前の悩み、たいがい、今となっては、どうでもよくなっている。

 

 10も20も悩みがあるのは、ただの不満も、悩みに入れているからである。

 

 自分の御都合主義を、全て捨てれば、殆どの悩みも、一緒に、捨てていることになる。

 

 悩んでも悩んでも、答えが出ないのは、それが悩みではなく、ただの「謎」だからである。

 

 悩みがない人間と思われることは、結構、屈辱的なものである。特に、悩みがあるとは、全く思えない者に、誤解されれば・・・。

 

 苦悩する女の顔は、美しい。苦悩し続けた女の顔は、老けている。

 

 深い苦悩に満ちた男の顔は、女に全くモテない男の顔に、よく似ている。

 

 悩んでいても、始まらないし、何かを始めたところで、終わらない(悩みは続く)。

 

 結局、まだ、生きているうちは、大した苦悩ではない。

 

 悩んでも、悩まなくても、いつか死ぬ。

 

 

 

 

イナシデス、愛人について、かく語りき

 

 大半の愛人は、略奪愛を狙っている訳ではない。好きな男の妻との、分割愛を望んでいる。

 

 妻は、愛人に勝ちたがる。愛人は、引き分けでも構わない、と思っているのに・・・。

 

 憂鬱な愛人の顔は、美しい。お気楽な妻の顔よりも、ずっと・・・。

 

 妻は、愛人に「図々しい」と、罵る権利がある。愛人は、妻に「図々しい」と、思う権利しかない。

 

 妻は、夫の愛人を憎むより、自分を磨いた方がいい。ただし、たいがいの妻は、時すでに遅し・・・。

 

 愛人が一人しかいない男は、愛人が複数いる男より、罪深いところが、ないとは言えない。

 

 愛人生活には、秋が似合う。夏や冬も、似合わないことはない。しかし、何故だか、春だけは似合わない。

 

 愛人生活に、ゴール(結婚)はない。あるのは、リタイア(諦め)だけである。しかし、例外もあるから、多くの愛人が、勘違いをしている。

 

 結婚を望む愛人は、独身の、二番目に好きな男を探す方が、合理的である。

 

 子供好きの愛人の苦悩・・・神の悪戯。

 

 子供を欲しがることで、相手の男の愛情を計ろうとする愛人は、危険人物の可能性がある。

 

 自殺をほのめかすことで、相手の男の愛情を計ろうとする愛人は、危険人物である。

 

 愛人が、相手の男に、自殺をほのめかすことは、別れの切っ掛けにしかならず、まさに、自殺行為である。

 

 世の中に、愛人養成学校というものがあるならば、最初の授業で習う教訓は、「自分の立場をわきまえなさい」だろう。

 

 妻子ある男と愛人の恋愛も、結婚を約束した男女の恋愛も、やること自体は、大して変わりはしない。

 

 長く続いた愛人関係には、金や性愛を超えた、深い絆も、あるに違いない。

 

 死ぬまで、一人の男の愛人として生きた女の愛情が、死ぬまで、一人の男の妻として生きた女の愛情より、劣るとは、言い切れない。

 

 男も、その妻も、愛人も、みんな、自分の価値を、過大に評価している場合が多い。

 

 男にだって、下手に家庭なんか持つより、富裕な女の愛人になった方がいい、と思うことはある。

 

 妻と愛人の修羅場は、ただの喜劇である。それを誰もが、悲劇のように考えているため、その認識の誤りから、本当の悲劇が起きてしまう・・・。

 

 

イナシデス、名言について、かく語りき

 

 新しい名言など、存在しない。全ての名言は、誰かの使い古しに過ぎない。

 

 Aという国で生まれた名言は、どうせ、Bという国でも、Cという国でも、別の誰かが言っている。

 

 誰だって、長い人生の中で、一度や二度は、名言を吐いている。ただし、誰も覚えてはいやしない。

 

 名言を生み出す、人間の基礎は、長い不幸を、経験することにある。

 

 逆説的名言を、よく言う者は、とにかく、あらゆる、言い訳が巧い。

 

 誰にでも通用する名言は、よく考えると、言われなくても、分かっている話に過ぎない。

 

 会話の達人とは、常に、小さな名言を、生み出し続けている者のことである。

 

 多弁な者より、口数の少ない者の方が、意外と、名言を貯め込んでいるものである。

 

 含蓄のある名言は、少なくとも、「含蓄がありますね」という台詞を、相手から引き出すのに、役に立つ。

 

 良い名言は、詩のように聞こえ、悪い名言は、説教のようにしか、聞こえない。

 

 英雄の名言なんてものは、たいがい、その周辺の者か、その後の歴史家が作っている。

 

 恋に関する名言は、若き美女がたちが、生み出すのではない。たいがい、老いた年寄りたちが、生み出している。

 

 夫婦生活の名言は、たいがい、晩年に生まれる。新婚生活中に生まれるのは、残念ながら、他人の失笑だけである。

 

 知識のない者から、偶然、出て来た名言は、なかなか、味わい深いものが多い。

 

 狂人を観察するのは、面白い。彼らは、時折、常人には思いつけない、名言を吐くから。

 

 役に立ちそうな名言より、役に立ちそうにない、珍言や暴言の方が、面白さでは、上である。

 

 名言の拡がりは、悪口の拡がりには劣るが、時代を超えてゆくのは、悪口ではなく、名言の方である。

 

 名言を愛する者は、知的な者というよりは、知的に思われたい者であることが多い。

 

  全ての哲学者の名言を知ったところで、哲学者になれる訳ではない。

 

 ただの理屈でしかない名言は、人を感心させることは出来ても、その人の将来まで、変えさせることは出来ない。