ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、権力について、かく語りき

 

 女の権力者は、同じ女から、嫌われている。男にも、好かれていない。ゆえに、お世辞を言われると、やたらと喜ぶ。

 

 子供に権力を持たせると、無邪気さと、残酷さが、似たりよったりだと、よく分かる。

 

 誰も、狂人を権力者にしたりしない。権力が、その人を、狂人にしてしまったのである。

 

 権力を手に入れて、性格の悪さが、浮き彫りになるような人間は、権力を持つ、資格がない。

 

 潔癖な、あるいは、潔癖を気取る、権力者ほど、よく人を殺したがる。

 

 権力者は、周囲の人間の意見を、よく聞くバカが一番、ただし、周囲の人間たちが、賢いという、前提条件付きで・・・。

 

 人の話を聞きたがらない権力者は、いつか、誰かに、殺されてしまうだろう。

 

 権力の分散は、平和も築けるし、戦争も勃発させる。

 

 小さな世界の権力者ほど、バカが多い。

 

 中途半端な権力の持ち主は、全く、権力のない者より、かえって、あちこちで、人に頭を下げることになる。

 

 暴力も、また、権力の一部である。

 

 金も、また、権力の一部である。しかも、その社会の文明が、高度であれば、ありとあらゆる強力な暴力を、上回るくらいの・・・。

 

 とにかく、運が良くなければ、権力を手に入れることは出来ない。

 

 どんな権力も、死(運命)には、勝てない。

 

 手に入れた権力が、大きければ大きいほど、自分だけの力では、支え切れなくなる。

 

 権力者を批判したがる者ほど、密かに、権力に対する、強い憧れを抱いている。

 

 権力者を批判したがる者ほど、権力とは、縁遠いものである。性格的にではなく、能力的に・・・。

 

 権力を欲しがらない人間は、何ひとつ、したいことがない人間である。特に、世の中のために・・・。

 

 権力と聞いて、金と色しか、思い浮かばない、これを読んでいるあなたの、低俗さ!

 

 これから、権力を行使しようとしている、権力者に、忠告をすることがあるとすれば、ひとつだけ・・・よく考えてから!

 

 

 

イナシデス、景気について、かく語りき

 

 景気が良ければ、ゴミでも売れる。景気が悪ければ、ゴミでも拾う。

 

 世の中の景気は、自然と同じであって、人間の意志で、どうにか出来ると思うのは、間違いである。

 

 ケチな金持ちが増えたら、世の中は、不景気になる。最良の景気対策は、ケチな金持ちを唆して、金を使わせることである。

 

 節約は、景気の敵である。世の人々に対する、ただの抜け駆け行為である。

 

 景気が良いのは、悪くなる序章、悪くなったら、また、良くなる。

 

 景気が良い時代の若者と、景気が悪い時代の若者では、老後の蓄えが、明らかに違ってくる。

 

 景気が良くも悪くもない時代が、長く続くのは、世代間の公平性という意味では、良いことである。

 

 過剰な好景気も、どん底の不景気も、多くの不正を生みやすくするという意味では、同じである。

 

 好景気とは、二流・三流の人物でも、成功する可能性が上がる、ということである。

 

 不景気とは、成功者が、一流の人物ばかりに、しぼられるということである。

 

 個人の能力が飛び抜けてさえいれば、世の中の景気など、何の関係もない。

 

 商売人が、商品を値上げしたくなれば、好景気の証し、値下げしたくなれば、不景気の証し。

 

 好景気の証しみたいな高額商品は、不景気になれば、格安で、いくらでも、手に入れることが出来る。

 

 景気の良し悪しの、切り替わるタイミングの分かる商売人は、間違いなく、成功する。

 

 商売人というものは、どんなに景気が良くても、儲かっているとは言わないものである。儲かっていると、自慢したがる商売人は、真の商売人ではない。

 

 つまらない商売が増えている時は、景気が良い証し、そして、景気が悪くなれば、その商売は、成り立たなくなる。

 

 景気の良し悪しは、まず、衣食住の変化に表れる。最も景気の良い時は、芸術などの、直接、生活に関係のないものにまで、金が流れる。

 

 金貸しが優しくなると、世の中の景気は良くなる。しかし、金貸しは、後で必ず恐くなる。それが、不景気の始まりである。

 

 借金の踏み倒しの噂ばかり、世の中に蔓延し出したら、それは、本物の不景気である。

 

 永遠の好景気は、人間を醜くするので、神は望んでいない。永遠の不景気も、人間を醜くするので、やはり、神は望んでいない。

 

 

 

イナシデス、苦悩(悩み)について、かく語りき

 

 悩みの多い人間は、知的ではない。悩みのないことこそ、知性の裏返しかも知れない。

 

 悩みなんて忘れろ、と言われても、忘れることは、覚えることより、難しい。

 

 所詮、誰かに話せる悩みなんて、どこか、自慢げですらある。

 

 悩み相談の上手な者、たいがい、おしゃべりという、欠点を持っている。

 

 恋愛の悩みは、聞きたがる者も多い。金銭の悩みは、誰も聞いてくれない。

 

 私は、人には相談しない、いつも決まって、本に相談する。

 

 それが、たとえ、どんなに浅はかな答えでも、本人が決めたことなら、それで正しい。

 

 悩みは成長する、変身もする、増殖もする。その悩む者を、鍛え上げるために・・・。

 

 悩みがあるということは、選択する楽しみがある、ということである。

 

 悩みが深いということは、考える楽しみがある、ということである。

 

 10年前の悩み、たいがい、今となっては、どうでもよくなっている。

 

 10も20も悩みがあるのは、ただの不満も、悩みに入れているからである。

 

 自分の御都合主義を、全て捨てれば、殆どの悩みも、一緒に、捨てていることになる。

 

 悩んでも悩んでも、答えが出ないのは、それが悩みではなく、ただの「謎」だからである。

 

 悩みがない人間と思われることは、結構、屈辱的なものである。特に、悩みがあるとは、全く思えない者に、誤解されれば・・・。

 

 苦悩する女の顔は、美しい。苦悩し続けた女の顔は、老けている。

 

 深い苦悩に満ちた男の顔は、女に全くモテない男の顔に、よく似ている。

 

 悩んでいても、始まらないし、何かを始めたところで、終わらない(悩みは続く)。

 

 結局、まだ、生きているうちは、大した苦悩ではない。

 

 悩んでも、悩まなくても、いつか死ぬ。