イナシデス、金について、かく語りき
金があっても仕方ない。金がないのは、どうしようもない。
金を欲しがるのは恥ではない。不必要な金を欲しがることが恥である。
ゴールは金ではない。しかし、スタートするのに金がいる。
運で金が入ることはあるが、金で運は買えない。
健康は金で買えない。たいがいの者は、健康なだけで、大したものは買えない。
金で安心は買えないが、富裕な者は買った気になっている。
究極の幸福は金で買えない。買ったと思っている人は、不幸な人である。
金がないのに幸福を感じられる人は、金があるのに幸福を感じられない人より、優れていると言える。
金にこだわれば、気が狂う。金にこだわらなければ、生活が狂う。
俗物は、気を使うことと、金を使うことが、一緒の行為になっている。
人生の転換期は、大金と共にやって来る。あるいは、大金が去ってやって来る。
金なんか要らない、と憤慨した翌日には、金がいる話がやって来る。
たとえ正当性があっても、金のない人から金を受け取るのは、不快である。
たとえ金のない相手でも、貸した金を返しに来ないのは、不快である。
金がなくなれば、自分にとって何が不必要なのか、考える機会にはなる。
無料は無責任。何処かの誰かに、無理な負担をさせているだけ。
苦労を金に換算出来ると考えるのは、間違いである。逆に、金に換算された方が惨めである。
金がないことは、孤独になることと同じである。
金という盾がなくなれば、自然と傷付く回数も増えていく。
金の要らない人、将来の展望のない人。