イナシデス、宗教について、かく語りき
神を信じるということは、自分は強運だと信じているだけである。
運を神と思える者は、宗教に走る。神を運と思える者は、占いに走る。神も運も不条理としか思えない者は、虚無に陥る。
信仰と運の良し悪し、関係なし。
常に迷信を馬鹿にしながら、急に迷信が怖くなるのが、人間である。
最大の罪は、死をもたらすことではなく、相手の自尊心を奪うことである。
人の心は癒える。あるいは、癒えなくても生きてはいける。
人間、生きることに懸命であれば、死の不安なんて感じない。
罪の告白と愛の告白の共通点は、どちらも嘘が混じっている点である。
金持ちはそれだけで罪深く、天国へ逝けない。貧乏人は、実際に罪を犯すので、天国へ逝けない。
地獄へ落ちた方が妥当な者ほど、地獄生活について関心がない。
この世のことは、たいがい想像がつく。あの世のことは、ただの願望に過ぎない。
無を受け入れられないのは、ただの思い上がりである。
大人になるということ。幽霊より、人間の方が怖いと気付くこと。
宗教家もまた俗人である。聖人から俗気が抜けるのは、死後の時間のお蔭である。
宗教家、悪い職業。自分だけ反省すりゃいいのに、あちこち行って、知らない人まで巻き込む。
宗教家の仕事。別に宗教家にならなくても、出来ることばかり。
神によく祈る者、一転して、神に悪態つく可能性の低くない者。
宗教と闘ってはいけない。宗教とは人間の憐れさの象徴であって、それを責めたって仕方ない。
求めるな、どうせ与えられん。
最近の神の口癖。「もう、ウンザリ!」