ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、自由について、かく語りき

 

道徳は、自由の邪魔である。そう聞いて、納得した者は、空想的自由を求めている者であって、現実的自由を知る者ではない。

 

誰だって、頭の中は自由である。ゆえに、他人に知られたくないことばかり、考えている。

 

どんな自由が欲しい?と、訊かれて、すぐに思い付いたことは何か?それによって、その人の品性が分かる。

 

神いわく、「品のない者、恥を知らない者には、自由を与えたくない」

 

最も、品性下劣な自由。立場の弱い者、反発出来ない者に対して、つけこむ自由。

 

誰とも闘う意志のない者は、不自由であっても、仕方ない。

 

自由を与えられた者は、使い方をよく分かっていない。自由を勝ち取った者は、勿体なくて、あまり使おうとしない。

 

子供を躾せず、自由に育てれば、個性派になる。ただし、個性派兼嫌われ者に過ぎない。

 

子供を躾せず、自由に育てた場合でも、将来の、その子供の失敗が、ちゃんと、躾してくれるだろう。

 

不自由を体験していない人間の顔の、軽薄さ。自由を体験していない人間の顔の、貧乏臭さ。

 

自由に見える者、嫉妬されやすい。本当は、他人が思うほど、自由でもないのに。

 

良き忠告。自由を得た時ほど、遠慮しなさい。不自由な時こそ、図太くなりなさい。

 

 女が売春をするのは、自由である。ただし、金のためにやるのではなく、適職だから、やるべきである。

 

もしかしたら、神は人殺しを容認しているかも知れない。しかし、人間社会は、これからも、容認することはないだろう。

 

本来、人間は自由な存在である。しかし、人間が集まれば、自由同士の対立・摩擦により、不自由にならざるえない。

 

自由のために、政治があるのではない。なるべく多くの国民に、不自由を感じさせないために、政治がある。

 

政府は、言論・芸術における表現の自由を認めるべきである。どうせ、大半の国民にとって、行使するに値しないのだから。

 

個人の自由を推す政党も、社会的協調を推す政党も、お題目だけという意味では、同じである。

 

自由な社会は、醜い現象がたくさん起きる。しかし、それでも、不自由な社会よりは、多少、マシである。

 

「自由、自由!」と、あまりにうるさい連中には、ぶん殴る自由を行使して、少し黙らせてやった方がいい。