ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、国家について、かく語りき

 

 国家は、極めて合理的な装置・機能であって、自分の意思を持っていない。

 

 大きな集団でありながら、国家という装置・機能を活用しない集団は、山賊や海賊と変わらない、ならず者である。

 

 国家は、全く機械的である。燃料になっているのは、予算であり、それを運んで来るのが、国民である。

 

 国家は、いつも、どこかが故障している。そして、修理すべき状態にあっても、大体、放置されてしまうことが多い。

 

 国民に、利益をもたらさない国家は、やがて、燃料不足に陥り、動かなくなる。

 

 国民に尽くし過ぎる国家など、存在しない。国家は、常に、国民が運んで来た、燃料分しか動かない。

 

 国家の歯車として、組み込まれた者は、その国家が動かなくなるまで、外してもらえなくなる。酷い時は、死ぬまで、自分の意思がなくなる。

 

 国家の運転をしたがる者(政治家)、国家の歯車になりたがる者(公務員)、時代に恵まれなければ、きっと、後悔することになる。

 

 王様は、国家の運転をする者として、ふさわしいとは限らない。それは、歴史が証明しているし、未来も証明してくれるだろう。

 

  国家は、暴走したりしない。暴走するのは、国家の運転をする者か、国家を神輿代わりに、担ぎ出した国民である。

 

 国家と個人は、対立しない。対立するのは、国家を利用したい、個人と個人である。

 

 国家のために、とは、王様のために、を意味しない。国民の合理的利益のために、を意味する。

 

 民主制は、国家をより合理的なものにするだろう。しかし、時には、独裁的な知恵者に任せた方が、上手くいくかも知れない。

 

 ある政治家が、私に訊いた。「国家民主制とは、植民地の連中や、奴隷たちにも政治参加をさせるということか?」、私は即座に答えた。「その通り。そうしなければ、植民地は独立してしまうし、奴隷は何処かに、奴隷の国家を建設することになるでしょう」

 

 ある政治家が、私に訊いた。「国家百年の計について教えて欲しい」、私は即座に答えた。「百年先のことは、百年先の人々に任せて、我々は、今の時代の話をしましょう」

 

 ある政治家が、私に訊いた。「我が国を戦争の強い国にするには、どうしたらいい?」、私は即座に答えた。「全ての子供に良い教育をすることです。知恵者は、良い武器も考えつくし、良い作戦も考えつくし、金を稼ぐのも集めるのも、上手ですから」

 

 ある政治家が私に訊いた。「国家に忠誠を尽くさせる教育について考えて欲しい」、私は即座に答えた。「戦争をするためですか?それとも、税金を取るためですか?」、「両方だ」、「残念ながら、人間は、戦争には行きたがらないし、税金も払いたがらないものです。それを過度に推し進めることは、教育ではなく、恐喝です」

 

 国家は、大き過ぎるより、小さいくらいの方が良い。ただし、隣国に攻め込まれる心配が、なければの話である。

 

 良い国家の第一条件とは、領土が広く、人口と兵士が多くいる国のことではない。ちゃんと、人口と兵士が養えた上で、領土が守れる国のことである。

 

 国家的利益とは、その国家に属する者全ての利益でなければいけない。その定義が正しいとすれば、国家的利益とは、ただの机上の空論である。