イナシデス、人生について、かく語りき
人生に意味があるとしたら、それは、こじつけでしかなく、意味がないとするのも、こじつけでしかない。
命懸けの人生と聞くと格好良いが、よく考えてみると、誰の人生であっても、死ぬ前までの行為は、全て、命懸けである。
人生の転換期は、予言出来るものではなく、後で気付くものである。
別に、占い師じゃなくても、貴方の人生の悩みくらい分かる。人間関係か、金か、健康の問題だろう。
楽しい人生は、時折、虚しい。苦しい人生は、いつも虚しい。
自分らしい人生を貫くということは、嫌われ者の人生を歩むことと、ほぼ一緒である。
夢のある人生とは、無理をする人生のことである。
愛というものを、お節介と解すれば、あらゆる全ての人生に、愛は溢れている。
人生は何度でも、やり直せる。やり直す度に、目標を小さくすれば。
人生が二度あったところで、一度目より、成功する保証はない。
人生が三度あっても、心底、本気になれるのは、三度目だけだろう。
他人の人生に関わることは、負担を増やすことでしかない。私はそれを、結婚することで知った。
結婚は人生の墓場ではない。地獄の入り口である。
子供の人生の成功を願わない親はいない。何しろ、親は子供が、必ず、恩返ししてくれると思い込んでいるから。
死について考えることの短い人生は、忙しい人生。死について考えることの長い人生は、暇な人生。
人生で大切なことは・・・あるようで、ない。ないようで・・・やはり、ない。
人生は、いつ死んでもいいと思えてからが長い。
宗教家の語る人生の教えは、書物の中の教えに過ぎない。それも、嘘がたくさん書かれている書物の。
正しい人生とは、「猫が鼠を捕まえ、食べ、生きながらえました」という話でしかない。つまり、正しいようで、結局、罪深い。
私が思う、幸福な人生とは、好きなものを食べ、好きなものを飲んでいるのに、健康で、程々に長生きする人生である。