イナシデス、世間(世間体)について、かく語りき
世間体を気にするということは、他人の嫉妬を気にすることと、同じことである。
迷走する者、世間体の奴隷。
世間体など、大事ではない。大事なのは、世間体を気にしているように、見せることである。
世間の代弁者と言われる人は、たいがい、自薦でやっている。
世間を知ってみたところで、得られるのは、処世術であって、教養ではない。
世間を知ろうとすることは、多くの人間と、関わりを持つということである。
世間話をして、出来た仲間は、やがて、世間話をして、仲違いする。
自分で自分を縛っている者ほど、世間に縛られているような、顔をしたがる。
世間体なんてものは、実体がない。あるのは、人間の、感情や価値観である。
世間体を全く、気にしない者は、ある種の野蛮人に過ぎない。
世間の評判を良くしようと思ったら、取り敢えず、欲を捨てることである。
一人で生き抜く覚悟がある者は、世間から逃げ出すのも、いいだろう。闘ってみるのも、いいだろう。
世間と闘っていると思い込んでいる者、たいがい、一人相撲。
全て、世間の言う通りにしたところで、理想の人生も、理想の社会も、完成することはない。
世間は、意志のない者、思想のない者を、次々、踏み潰しにやって来る。
世間が、許さないのではない。世間、世間と、騒いでいる者が、許さないのである。
実は、幽霊に、直接、殺される者がいないように、世間体から、直接、殺される者もいない。
どれだけ、人間が、代替わりしても、世間体の何たるかなんて、変わりゃしない。
宇宙には、人間以上の数の星が存在するが、そこに、世間体のような馬鹿なものは、存在していない。
世界は、神が創った。世間は、人間が作った。