イナシデス、魅力について、かく語りき
別に、これといった魅力なんてなくとも、恋も出来るし、結婚も出来る。それは、人類の歴史が証明している。
もっと、自分を、魅力的にしたい者は、他人のことを研究するより、自分のことを研究するべきである。
どんなに魅力的な人物でも、百人中百人に、「魅力的!」と、認められる訳ではない。
全く、魅力に乏しい人物も、ある一面だけ見れば、きっと、魅力的である。
恋人に浮気ばかりされる人間は、魅力がないというより、人を見る目がない。
性的魅力について・・・案外、外見とは関係がない。
外見的魅力は、永遠ではなく、実は、男も女も、老人になる、十年も二十年も前に、失っていることが多い。
みんなに、好かれたいと考えている者ほど、どんどん、魅力に乏しくなる。
分相応を知っている人間は、ほどほどに魅力的である。
自信のある者は、魅力的に見える。たとえ、それが、根拠のない自信であっても・・・。
何かに夢中になっている者は、魅力的に見える。たとえ、それが、叶わぬ夢だったとしても・・・。
魅力は、あとからついて来る。まず、何かを始めることである。
いかにも知的な人物は、さほど、魅力的には見えないものである。
いかにも魅力的な人物は、自分が知的であることに、さほど、重きを置いていない。
いかにも魅力的な人物ほど、何らかの欠点を、臆することなく、さらけ出している。
今、苦しんでいる人間は、これから、魅力的な人間になれるかどうかの、分岐点にいると言える。
金は、魅力のない者にも、公平に、付加価値を与える。
魅力のない者が、大金をつかんでも、いかにも、魅力のない者らしい、使い方しかしない。
天国の魅力を語りたがる者は、きっと、今ある世界の魅力を、知らない者である。
ここだけの話、私は、神すら、大して、魅力的とも思っていない。