ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、痛みについて、かく語りき


 心の痛みは、自分で何とか出来るが、体の痛みは、自分では、どうにも出来ない。

 

 心の痛みも、体の痛みも、死ねば、きっと、解決するだろう。

 

 永遠の痛みなんてない、人生には、死があるから。

 

 もし、死に痛みがともなうならば、人は、もっと、懸命に生きるだろう。特に、自殺者が減るだろう。

 

 頭痛や歯痛がない人生、それだけでも、その人は幸福である。

 

 一年を振り返って、痛い思いをした記憶のない人は、幸福である。

 

 痛みは、その人に、どれだけ理性があるかをみるための、試験である。

 

 強烈な痛みと、長期間、闘わなければいけないほど、果たして、この世に執着する価値なんて、あるのだろうか?

 

 小さな痛みを経験したからといって、大きな痛みの予防になるとは、限らない。

 

 小さな痛みは、厄払いになるから、喜ぶべき?普通に考えて、すこぶるバカげている。

 

 私が痛みで苦しみ、死にそうな時は、宗教家ではなく、たとえヤブでも、医師を呼んで欲しい。

 

 必要以上に痛がる者は、信用出来ない。

 

 痛みを恐れない者は、単なる気取り屋の、大嘘吐きである。

 

 痛みは、どんな立派な人間の自尊心も、破壊出来る。

 

 たとえ、小さな痛みでも、とりつかれたら、あらゆる分野の、どんな名人も、名人ではなくなってしまう。

 

 痛みは、数値化しようが、文学的に表現しようが、正確に、他人に伝えることは出来ない。

 

 人間には、二種類いる、人生において、強烈な痛みがやって来た時、神に謝罪する者と、神に抗議する者と・・・。

 

 大切な人が、痛みと闘っている時、出来ることなら、代わってやりたいと思う者が、本当に、代わることになったら・・・きっと、後悔するだろう。

 

 痛みは、自分だけのものである。他人の痛みなんて、想像は出来ても、実際は分からない。

 

 人間は、痛みのある時しか、本気の反省はしない。そして、どれだけ、反省したところで、痛みから解放される根拠とは、無関係である。