ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、人生について、かく語りき

 

 人生に意味があるとしたら、それは、こじつけでしかなく、意味がないとするのも、こじつけでしかない。

 

 命懸けの人生と聞くと格好良いが、よく考えてみると、誰の人生であっても、死ぬ前までの行為は、全て、命懸けである。

 

 人生の転換期は、予言出来るものではなく、後で気付くものである。

 

 別に、占い師じゃなくても、貴方の人生の悩みくらい分かる。人間関係か、金か、健康の問題だろう。

 

 楽しい人生は、時折、虚しい。苦しい人生は、いつも虚しい。

 

 自分らしい人生を貫くということは、嫌われ者の人生を歩むことと、ほぼ一緒である。

 

 夢のある人生とは、無理をする人生のことである。

 

 愛というものを、お節介と解すれば、あらゆる全ての人生に、愛は溢れている。

 

 人生は何度でも、やり直せる。やり直す度に、目標を小さくすれば。

 

 人生が二度あったところで、一度目より、成功する保証はない。

 

 人生が三度あっても、心底、本気になれるのは、三度目だけだろう。

 

 他人の人生に関わることは、負担を増やすことでしかない。私はそれを、結婚することで知った。

 

 結婚は人生の墓場ではない。地獄の入り口である。

 

 子供の人生の成功を願わない親はいない。何しろ、親は子供が、必ず、恩返ししてくれると思い込んでいるから。

 

 死について考えることの短い人生は、忙しい人生。死について考えることの長い人生は、暇な人生。

 

 人生で大切なことは・・・あるようで、ない。ないようで・・・やはり、ない。

 

 人生は、いつ死んでもいいと思えてからが長い。

 

 宗教家の語る人生の教えは、書物の中の教えに過ぎない。それも、嘘がたくさん書かれている書物の。

 

 正しい人生とは、「猫が鼠を捕まえ、食べ、生きながらえました」という話でしかない。つまり、正しいようで、結局、罪深い。

 

 私が思う、幸福な人生とは、好きなものを食べ、好きなものを飲んでいるのに、健康で、程々に長生きする人生である。

 

 

 

イナシデス、国家について、かく語りき

 

 国家は、極めて合理的な装置・機能であって、自分の意思を持っていない。

 

 大きな集団でありながら、国家という装置・機能を活用しない集団は、山賊や海賊と変わらない、ならず者である。

 

 国家は、全く機械的である。燃料になっているのは、予算であり、それを運んで来るのが、国民である。

 

 国家は、いつも、どこかが故障している。そして、修理すべき状態にあっても、大体、放置されてしまうことが多い。

 

 国民に、利益をもたらさない国家は、やがて、燃料不足に陥り、動かなくなる。

 

 国民に尽くし過ぎる国家など、存在しない。国家は、常に、国民が運んで来た、燃料分しか動かない。

 

 国家の歯車として、組み込まれた者は、その国家が動かなくなるまで、外してもらえなくなる。酷い時は、死ぬまで、自分の意思がなくなる。

 

 国家の運転をしたがる者(政治家)、国家の歯車になりたがる者(公務員)、時代に恵まれなければ、きっと、後悔することになる。

 

 王様は、国家の運転をする者として、ふさわしいとは限らない。それは、歴史が証明しているし、未来も証明してくれるだろう。

 

  国家は、暴走したりしない。暴走するのは、国家の運転をする者か、国家を神輿代わりに、担ぎ出した国民である。

 

 国家と個人は、対立しない。対立するのは、国家を利用したい、個人と個人である。

 

 国家のために、とは、王様のために、を意味しない。国民の合理的利益のために、を意味する。

 

 民主制は、国家をより合理的なものにするだろう。しかし、時には、独裁的な知恵者に任せた方が、上手くいくかも知れない。

 

 ある政治家が、私に訊いた。「国家民主制とは、植民地の連中や、奴隷たちにも政治参加をさせるということか?」、私は即座に答えた。「その通り。そうしなければ、植民地は独立してしまうし、奴隷は何処かに、奴隷の国家を建設することになるでしょう」

 

 ある政治家が、私に訊いた。「国家百年の計について教えて欲しい」、私は即座に答えた。「百年先のことは、百年先の人々に任せて、我々は、今の時代の話をしましょう」

 

 ある政治家が、私に訊いた。「我が国を戦争の強い国にするには、どうしたらいい?」、私は即座に答えた。「全ての子供に良い教育をすることです。知恵者は、良い武器も考えつくし、良い作戦も考えつくし、金を稼ぐのも集めるのも、上手ですから」

 

 ある政治家が私に訊いた。「国家に忠誠を尽くさせる教育について考えて欲しい」、私は即座に答えた。「戦争をするためですか?それとも、税金を取るためですか?」、「両方だ」、「残念ながら、人間は、戦争には行きたがらないし、税金も払いたがらないものです。それを過度に推し進めることは、教育ではなく、恐喝です」

 

 国家は、大き過ぎるより、小さいくらいの方が良い。ただし、隣国に攻め込まれる心配が、なければの話である。

 

 良い国家の第一条件とは、領土が広く、人口と兵士が多くいる国のことではない。ちゃんと、人口と兵士が養えた上で、領土が守れる国のことである。

 

 国家的利益とは、その国家に属する者全ての利益でなければいけない。その定義が正しいとすれば、国家的利益とは、ただの机上の空論である。

 

 

 

 

イナシデス、性別について、かく語りき

 

 男女平等以前に、あらゆる人間関係の中で、全く対等な関係性なんて、存在しない。

 

 男女平等の推進は、双方の偶像性の破壊を伴い、男女ともに、損したり、得したりの話である。

 

 男らしさも、女らしさも、イメージ先行の定義モドキに過ぎない。

 

 男になりたがる女は、社会的責任を持ちたがっているのかも知れない。女になりたがる男は、社会的責任を放棄したがっているのかも知れない。

 

 ある女が言った。「男だったら良かった」私は、納得した。彼女が、女として生きていくには、余りに、顔面がたくまし過ぎる。

 

 ある男が言った。「女だったら良かった」私は、納得出来なかった。彼が、女として生きていくには、余りに、全身がたくまし過ぎる。

 

 神が、人間の性別を、生まれる前に、選べるようにしても、結局、男女の比率は、五分五分になるような気がする。

 

 つまらない男に引っ掛かる女、見栄っ張り。つまらない女に引っ掛かる男、情欲過多。

 

 多趣味の男は、器用貧乏。多趣味の女は、すぐ、誰かの影響を受けている。

 

 気質が、男寄りの女、女寄りの男、意外とモテる。

 

 男らしい男は、同性に好かれるが、女らしい女は、同性に好かれない。

 

 男は、自分の部屋を欲しがる。女は、家ごと欲しがる。

 

 男の身勝手も、女の身勝手も、傾向が違うだけで、どちらも同じくらい、身勝手である。

 

 女が女友達を裏切ってまで、男に尽くしても、男は女のために、男友達を裏切ったりしない。

 

 女は男と、秘密を共有したがっている。しかし、男は女と、秘密を共有したがらない。

 

 男は、別れた女のことまで心配してみせる。女はそれを、大きなお世話だと思っている。すでに、新しい男がいる場合は、特に。

 

 厭世解釈。結婚は、男も女も、慣習の被害者である。しかし、最大の被害者は、子供であることを、忘れてはならない。

 

 男の老いは、喜劇的だが、女の老いは、悲劇的である。最初、私はそう思ったが、お好みで入れ替えても、何の問題もない。

 

  男が欲情のために、女を押し倒すことが大罪ならば、女が欲情のために、男を誘惑することも、せめて小罪くらいにするべきである。

 

 世の中が進歩して、どれだけ男女平等が叫ばれるようになっても、少なくとも、性器ひとつ分の違いだけは、残り続けるだろう。