ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、景気について、かく語りき

 

 景気が良ければ、ゴミでも売れる。景気が悪ければ、ゴミでも拾う。

 

 世の中の景気は、自然と同じであって、人間の意志で、どうにか出来ると思うのは、間違いである。

 

 ケチな金持ちが増えたら、世の中は、不景気になる。最良の景気対策は、ケチな金持ちを唆して、金を使わせることである。

 

 節約は、景気の敵である。世の人々に対する、ただの抜け駆け行為である。

 

 景気が良いのは、悪くなる序章、悪くなったら、また、良くなる。

 

 景気が良い時代の若者と、景気が悪い時代の若者では、老後の蓄えが、明らかに違ってくる。

 

 景気が良くも悪くもない時代が、長く続くのは、世代間の公平性という意味では、良いことである。

 

 過剰な好景気も、どん底の不景気も、多くの不正を生みやすくするという意味では、同じである。

 

 好景気とは、二流・三流の人物でも、成功する可能性が上がる、ということである。

 

 不景気とは、成功者が、一流の人物ばかりに、しぼられるということである。

 

 個人の能力が飛び抜けてさえいれば、世の中の景気など、何の関係もない。

 

 商売人が、商品を値上げしたくなれば、好景気の証し、値下げしたくなれば、不景気の証し。

 

 好景気の証しみたいな高額商品は、不景気になれば、格安で、いくらでも、手に入れることが出来る。

 

 景気の良し悪しの、切り替わるタイミングの分かる商売人は、間違いなく、成功する。

 

 商売人というものは、どんなに景気が良くても、儲かっているとは言わないものである。儲かっていると、自慢したがる商売人は、真の商売人ではない。

 

 つまらない商売が増えている時は、景気が良い証し、そして、景気が悪くなれば、その商売は、成り立たなくなる。

 

 景気の良し悪しは、まず、衣食住の変化に表れる。最も景気の良い時は、芸術などの、直接、生活に関係のないものにまで、金が流れる。

 

 金貸しが優しくなると、世の中の景気は良くなる。しかし、金貸しは、後で必ず恐くなる。それが、不景気の始まりである。

 

 借金の踏み倒しの噂ばかり、世の中に蔓延し出したら、それは、本物の不景気である。

 

 永遠の好景気は、人間を醜くするので、神は望んでいない。永遠の不景気も、人間を醜くするので、やはり、神は望んでいない。

 

 

 

イナシデス、苦悩(悩み)について、かく語りき

 

 悩みの多い人間は、知的ではない。悩みのないことこそ、知性の裏返しかも知れない。

 

 悩みなんて忘れろ、と言われても、忘れることは、覚えることより、難しい。

 

 所詮、誰かに話せる悩みなんて、どこか、自慢げですらある。

 

 悩み相談の上手な者、たいがい、おしゃべりという、欠点を持っている。

 

 恋愛の悩みは、聞きたがる者も多い。金銭の悩みは、誰も聞いてくれない。

 

 私は、人には相談しない、いつも決まって、本に相談する。

 

 それが、たとえ、どんなに浅はかな答えでも、本人が決めたことなら、それで正しい。

 

 悩みは成長する、変身もする、増殖もする。その悩む者を、鍛え上げるために・・・。

 

 悩みがあるということは、選択する楽しみがある、ということである。

 

 悩みが深いということは、考える楽しみがある、ということである。

 

 10年前の悩み、たいがい、今となっては、どうでもよくなっている。

 

 10も20も悩みがあるのは、ただの不満も、悩みに入れているからである。

 

 自分の御都合主義を、全て捨てれば、殆どの悩みも、一緒に、捨てていることになる。

 

 悩んでも悩んでも、答えが出ないのは、それが悩みではなく、ただの「謎」だからである。

 

 悩みがない人間と思われることは、結構、屈辱的なものである。特に、悩みがあるとは、全く思えない者に、誤解されれば・・・。

 

 苦悩する女の顔は、美しい。苦悩し続けた女の顔は、老けている。

 

 深い苦悩に満ちた男の顔は、女に全くモテない男の顔に、よく似ている。

 

 悩んでいても、始まらないし、何かを始めたところで、終わらない(悩みは続く)。

 

 結局、まだ、生きているうちは、大した苦悩ではない。

 

 悩んでも、悩まなくても、いつか死ぬ。

 

 

 

 

イナシデス、愛人について、かく語りき

 

 大半の愛人は、略奪愛を狙っている訳ではない。好きな男の妻との、分割愛を望んでいる。

 

 妻は、愛人に勝ちたがる。愛人は、引き分けでも構わない、と思っているのに・・・。

 

 憂鬱な愛人の顔は、美しい。お気楽な妻の顔よりも、ずっと・・・。

 

 妻は、愛人に「図々しい」と、罵る権利がある。愛人は、妻に「図々しい」と、思う権利しかない。

 

 妻は、夫の愛人を憎むより、自分を磨いた方がいい。ただし、たいがいの妻は、時すでに遅し・・・。

 

 愛人が一人しかいない男は、愛人が複数いる男より、罪深いところが、ないとは言えない。

 

 愛人生活には、秋が似合う。夏や冬も、似合わないことはない。しかし、何故だか、春だけは似合わない。

 

 愛人生活に、ゴール(結婚)はない。あるのは、リタイア(諦め)だけである。しかし、例外もあるから、多くの愛人が、勘違いをしている。

 

 結婚を望む愛人は、独身の、二番目に好きな男を探す方が、合理的である。

 

 子供好きの愛人の苦悩・・・神の悪戯。

 

 子供を欲しがることで、相手の男の愛情を計ろうとする愛人は、危険人物の可能性がある。

 

 自殺をほのめかすことで、相手の男の愛情を計ろうとする愛人は、危険人物である。

 

 愛人が、相手の男に、自殺をほのめかすことは、別れの切っ掛けにしかならず、まさに、自殺行為である。

 

 世の中に、愛人養成学校というものがあるならば、最初の授業で習う教訓は、「自分の立場をわきまえなさい」だろう。

 

 妻子ある男と愛人の恋愛も、結婚を約束した男女の恋愛も、やること自体は、大して変わりはしない。

 

 長く続いた愛人関係には、金や性愛を超えた、深い絆も、あるに違いない。

 

 死ぬまで、一人の男の愛人として生きた女の愛情が、死ぬまで、一人の男の妻として生きた女の愛情より、劣るとは、言い切れない。

 

 男も、その妻も、愛人も、みんな、自分の価値を、過大に評価している場合が多い。

 

 男にだって、下手に家庭なんか持つより、富裕な女の愛人になった方がいい、と思うことはある。

 

 妻と愛人の修羅場は、ただの喜劇である。それを誰もが、悲劇のように考えているため、その認識の誤りから、本当の悲劇が起きてしまう・・・。