イナシデス、成功について、かく語りき
ただの結果論に過ぎない、成功者の言葉を、長時間、聞いていられる者は、きっと、成功しない。
全てのチャンスは、一度切りである。二度目のチャンスは、別のチャンスでしかないから。
成功への道標とは、小さい目標を、いくつも持つ、ということである。
あれもこれも、何もかも欲しがる者は、成功しない。
あれもこれも、何もかも要らない者は、成功しても、意味がない。
人生の丁半博打を避けたがる者は、成功者にも、失敗者にもなれない。
成功も失敗もしない人生を歩んだ者は、どちらかと言えば、成功者である。
失敗は、成功のもとかも知れないし、大失敗のもとかも知れない。
時間を気にしない者は、成功しない。時間を気にし過ぎる者は、忙しない。
理念なき成功者ほど、他人の理念を、自分のもののように語るようになる。
全く、無計画なまま、成功した者ほど、自分の運の良さを、否定したがる。
成功の実感のない成功は、自分で考え、つかんだ成功ではないからである。
親孝行だから、成功したのではない。成功した者は、親孝行したくなるのである。
残念ながら、道徳なき成功者が、その実績を、正当に評価されるようになるのは、きっと、死後のことである。
成功後、もう一段、上を目指すか?それとも、現状維持を心掛けるか?それが、問題だ。
良い成功者は、次世代の成功者を育てる。悪い成功者は、次世代の成功者の芽を摘みたがる。
成功したかどうかは、他人(世間)が決めることではなく、自分が、納得出来たかどうかの、問題である。
失敗している自覚のない者も、成功者の一人と考えれば、世の中は、成功者ばかりになる。
明らかな社会的成功者が、そのまま、幸福な個人とは限らないという、皮肉。
人間は、死の間際まで、健康であったというだけで、半分は、成功者である。