イナシデス、苦悩(悩み)について、かく語りき
悩みの多い人間は、知的ではない。悩みのないことこそ、知性の裏返しかも知れない。
悩みなんて忘れろ、と言われても、忘れることは、覚えることより、難しい。
所詮、誰かに話せる悩みなんて、どこか、自慢げですらある。
悩み相談の上手な者、たいがい、おしゃべりという、欠点を持っている。
恋愛の悩みは、聞きたがる者も多い。金銭の悩みは、誰も聞いてくれない。
私は、人には相談しない、いつも決まって、本に相談する。
それが、たとえ、どんなに浅はかな答えでも、本人が決めたことなら、それで正しい。
悩みは成長する、変身もする、増殖もする。その悩む者を、鍛え上げるために・・・。
悩みがあるということは、選択する楽しみがある、ということである。
悩みが深いということは、考える楽しみがある、ということである。
10年前の悩み、たいがい、今となっては、どうでもよくなっている。
10も20も悩みがあるのは、ただの不満も、悩みに入れているからである。
自分の御都合主義を、全て捨てれば、殆どの悩みも、一緒に、捨てていることになる。
悩んでも悩んでも、答えが出ないのは、それが悩みではなく、ただの「謎」だからである。
悩みがない人間と思われることは、結構、屈辱的なものである。特に、悩みがあるとは、全く思えない者に、誤解されれば・・・。
苦悩する女の顔は、美しい。苦悩し続けた女の顔は、老けている。
深い苦悩に満ちた男の顔は、女に全くモテない男の顔に、よく似ている。
悩んでいても、始まらないし、何かを始めたところで、終わらない(悩みは続く)。
結局、まだ、生きているうちは、大した苦悩ではない。
悩んでも、悩まなくても、いつか死ぬ。