イナシデス、景気について、かく語りき
景気が良ければ、ゴミでも売れる。景気が悪ければ、ゴミでも拾う。
世の中の景気は、自然と同じであって、人間の意志で、どうにか出来ると思うのは、間違いである。
ケチな金持ちが増えたら、世の中は、不景気になる。最良の景気対策は、ケチな金持ちを唆して、金を使わせることである。
節約は、景気の敵である。世の人々に対する、ただの抜け駆け行為である。
景気が良いのは、悪くなる序章、悪くなったら、また、良くなる。
景気が良い時代の若者と、景気が悪い時代の若者では、老後の蓄えが、明らかに違ってくる。
景気が良くも悪くもない時代が、長く続くのは、世代間の公平性という意味では、良いことである。
過剰な好景気も、どん底の不景気も、多くの不正を生みやすくするという意味では、同じである。
好景気とは、二流・三流の人物でも、成功する可能性が上がる、ということである。
不景気とは、成功者が、一流の人物ばかりに、しぼられるということである。
個人の能力が飛び抜けてさえいれば、世の中の景気など、何の関係もない。
商売人が、商品を値上げしたくなれば、好景気の証し、値下げしたくなれば、不景気の証し。
好景気の証しみたいな高額商品は、不景気になれば、格安で、いくらでも、手に入れることが出来る。
景気の良し悪しの、切り替わるタイミングの分かる商売人は、間違いなく、成功する。
商売人というものは、どんなに景気が良くても、儲かっているとは言わないものである。儲かっていると、自慢したがる商売人は、真の商売人ではない。
つまらない商売が増えている時は、景気が良い証し、そして、景気が悪くなれば、その商売は、成り立たなくなる。
景気の良し悪しは、まず、衣食住の変化に表れる。最も景気の良い時は、芸術などの、直接、生活に関係のないものにまで、金が流れる。
金貸しが優しくなると、世の中の景気は良くなる。しかし、金貸しは、後で必ず恐くなる。それが、不景気の始まりである。
借金の踏み倒しの噂ばかり、世の中に蔓延し出したら、それは、本物の不景気である。
永遠の好景気は、人間を醜くするので、神は望んでいない。永遠の不景気も、人間を醜くするので、やはり、神は望んでいない。