イナシデス、痛みについて、かく語りき
心の痛みは、自分で何とか出来るが、体の痛みは、自分では、どうにも出来ない。
心の痛みも、体の痛みも、死ねば、きっと、解決するだろう。
永遠の痛みなんてない、人生には、死があるから。
もし、死に痛みがともなうならば、人は、もっと、懸命に生きるだろう。特に、自殺者が減るだろう。
頭痛や歯痛がない人生、それだけでも、その人は幸福である。
一年を振り返って、痛い思いをした記憶のない人は、幸福である。
痛みは、その人に、どれだけ理性があるかをみるための、試験である。
強烈な痛みと、長期間、闘わなければいけないほど、果たして、この世に執着する価値なんて、あるのだろうか?
小さな痛みを経験したからといって、大きな痛みの予防になるとは、限らない。
小さな痛みは、厄払いになるから、喜ぶべき?普通に考えて、すこぶるバカげている。
私が痛みで苦しみ、死にそうな時は、宗教家ではなく、たとえヤブでも、医師を呼んで欲しい。
必要以上に痛がる者は、信用出来ない。
痛みを恐れない者は、単なる気取り屋の、大嘘吐きである。
痛みは、どんな立派な人間の自尊心も、破壊出来る。
たとえ、小さな痛みでも、とりつかれたら、あらゆる分野の、どんな名人も、名人ではなくなってしまう。
痛みは、数値化しようが、文学的に表現しようが、正確に、他人に伝えることは出来ない。
人間には、二種類いる、人生において、強烈な痛みがやって来た時、神に謝罪する者と、神に抗議する者と・・・。
大切な人が、痛みと闘っている時、出来ることなら、代わってやりたいと思う者が、本当に、代わることになったら・・・きっと、後悔するだろう。
痛みは、自分だけのものである。他人の痛みなんて、想像は出来ても、実際は分からない。
人間は、痛みのある時しか、本気の反省はしない。そして、どれだけ、反省したところで、痛みから解放される根拠とは、無関係である。