イナシデス、ケンカについて、かく語りき
「若い頃は、ケンカが強かった」と自慢したがる老人は、別に、嘘をついている訳ではない。実際、強かったのである。少なくとも、今よりは。
大半のケンカの原因は、まず、そのケンカの大きさと、釣り合わないのが普通である。
まともな人間同士のケンカなら、まず、殺し合いにまで、発展することはない。
少しくらい、ケンカが強いからといって、王様(政治的権力)を倒せる訳ではない。
1対1のケンカと比べて、集団のケンカは醜い。その代表が、戦争である。
私が出会った、ケンカ500戦無敗と言われた男は、残念ながら、10までしか、数の勘定が出来ない男だった。
ケンカで無敗の男になりたかったら、誰にもケンカを売らず、誰からのケンカも買わないことである。
「ケンカするほど、仲が良い」というよりは、「ケンカするほど、傍にいる」といった方が、正確である。
英雄と云われる者の人生には、程々の数のケンカは、つきものである。
長い付き合いの中で、1度も、ケンカをしたことのない関係は、大した関係ではない。
ケンカをして、後悔するのは、その相手が、自分にとって、大事な人だからである。
ケンカ相手との、本来の関係が良ければ、仲直りしたいタイミングは、同じはずである。
親子喧嘩で、父親が息子に負けるのは、教育に失敗したから、と言わざる得ない。
兄弟喧嘩で、兄が弟に負けるのは、弟の人間性に問題があるから、と言わざる得ない。
相手の自尊心について、考えてやれない者は、ケンカなどするものではない。
勝つか負けるか、分からないケンカ以外、やるべきではない。
負けてもいいと思って、ケンカをするくらいなら、最初から、謝ってしまった方がいい。
勝つことにこだわって、卑怯者になるくらいなら、負けてしまった方がいい。
全てのケンカは、自尊心の問題と関係している。
たいがいの夫婦喧嘩は、他人から見て、八百長みたいなものである。