ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、ケンカについて、かく語りき


「若い頃は、ケンカが強かった」と自慢したがる老人は、別に、嘘をついている訳ではない。実際、強かったのである。少なくとも、今よりは。


 大半のケンカの原因は、まず、そのケンカの大きさと、釣り合わないのが普通である。


 まともな人間同士のケンカなら、まず、殺し合いにまで、発展することはない。


 少しくらい、ケンカが強いからといって、王様(政治的権力)を倒せる訳ではない。


 1対1のケンカと比べて、集団のケンカは醜い。その代表が、戦争である。


 私が出会った、ケンカ500戦無敗と言われた男は、残念ながら、10までしか、数の勘定が出来ない男だった。


 ケンカで無敗の男になりたかったら、誰にもケンカを売らず、誰からのケンカも買わないことである。


「ケンカするほど、仲が良い」というよりは、「ケンカするほど、傍にいる」といった方が、正確である。


 英雄と云われる者の人生には、程々の数のケンカは、つきものである。


 長い付き合いの中で、1度も、ケンカをしたことのない関係は、大した関係ではない。


 ケンカをして、後悔するのは、その相手が、自分にとって、大事な人だからである。
 

 ケンカ相手との、本来の関係が良ければ、仲直りしたいタイミングは、同じはずである。


 親子喧嘩で、父親が息子に負けるのは、教育に失敗したから、と言わざる得ない。


 兄弟喧嘩で、兄が弟に負けるのは、弟の人間性に問題があるから、と言わざる得ない。


 相手の自尊心について、考えてやれない者は、ケンカなどするものではない。


 勝つか負けるか、分からないケンカ以外、やるべきではない。


 負けてもいいと思って、ケンカをするくらいなら、最初から、謝ってしまった方がいい。


 勝つことにこだわって、卑怯者になるくらいなら、負けてしまった方がいい。


 全てのケンカは、自尊心の問題と関係している。


 たいがいの夫婦喧嘩は、他人から見て、八百長みたいなものである。