ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、罪と罰について、かく語りき


 人間は、例外なく、罪深い。だから、例外なく、死という罰がある。


 罪とは何か?何のための罰か?神さえ、定義することを、忘れているように思える。


 人間は、一応、罪と罰の均衡について考えているが、神の方は、さほど、気にしていないように思える。


「この世に、法がなければ、罪もない」と、定義出来なくもない。


 人間は、神を信用していないから、法なんて作り上げる。


 些細な罪は、お互い様である。


「些細な罪は、お互い様」が分からない政治家は、法ばかり作っている。


 罪を犯すこと自体、罰である。


 罰から、逃れようとする状況も、罰である。


 罰を与えようとすること自体、罪である。


 法も、正義も、結構、罪深い。


 罪に対して、無神経な者ほど、罰を受ける時は、神経質になる。


 人殺しの罰が死刑なら、罰を執行した者も、死刑であり、やがて、人類は、地球上で、一人だけになってしまうだろう。


 人間が、罪を犯すのは、別に、罰の問題とは関係がない。


 罰が執行されたからといって、別に、被害者が失ったものが、戻って来る訳ではない。


 罰を受けたからといって、別に、罪が消える訳ではない。


 死ぬ間際、いくつも、自分の罪を思い出せる人間は、むしろ、誠実である。


 大衆は、いつも、誰かを罰しようとしている。


 大衆は、いつも、罪を犯した誰かの身内まで、ついでに、罰しようとしている。
 

 恋愛は、罪深く、結婚とは、その罰のことである。