イナシデス、病気について、かく語りき
病気だと気付かなければ、それは健康と一緒である。少なくとも、今は・・・。
人は病気が長引くと、死にたくなる。しかし、実際のところ、思うばかりで、実行には移さない。
病気の時は、健康しか求めていなかった者たちが、健康になると、あれもこれも、求めるようになる。
病人の最大の苦しみは、自分が、誰かの負担でしかない、役立たずと、認識することである。
たまには、大きい病気にかからないと、きっと、その人間は、思い上がった性格になってしまうだろう。
たまには、大きい病気にかからないと、きっと、その人間は、自分の将来を、真剣に考える機会を失ってしまうだろう。
小さい病気になると、自分が、家族から、どのように評価されているかが分かる。
大きい病気になると、自分が、世間から、どのように評価されているかが分かる。
良い病人は、周囲の者に、感謝することを忘れない。悪い病人は、周囲の者に、悪態をつくことを忘れない。
最も悪い病人は、周囲の人間に、悪態をつくだけじゃ、飽きたらず、神に対してまで、悪態が止まらない。
病人は、健康な時より、数段、神を思う。しかし、お見舞いに来てくれる可能性があるのは、神ではなく、死神の方である。
心の病は、不治の病のようであり、すぐに治る病気のようでもある。
心の病を、軽んじてはならない。それは、信仰の問題を軽んじてはならないのと、同じことである。
冗談みたいな話。その男は、40になっても、病気ひとつしなかった・・・しかし、頭髪は、1本もなかった。
冗談みたいな話。その女は、40になるまで、病気ひとつしなかった・・・しかし、男に愛されたことがなかった。
冗談みたいな話。上記の健康な40の男女が、結婚をした。その半年後、女は病に倒れ、死んだ。そして、男の頭には、数本の毛が生えていた。
医師がいなければ(病気だと、診断しなければ)、病人などいなくなる。ただし、素人目で見ても、布団の中にいた方が良さそうな者たちが、街の中を、ウロウロするようになるのは、避けられない。
ずっと、医師のフリをしていた、ある詐欺師は、いつも、「あなたは病気ではない。健康そのものです」と、いい加減な診察を繰り返した結果、病人たちの寿命を伸ばすことに、成功し、亡くなった時は、ただの詐欺師でありながら、天国へ行けたそうである。
私が、大病にかかった時は、どうせ、治りもしない、気休めの薬よりも、信用出来る医師からもらう、楽に死ねる薬の方が欲しい。
しかし、楽な死なんてものが、本当に存在するのだろうか?つくづく、死は、医学の問題である以上に、哲学の問題だと、私は思う。
イナシデス、不満について、かく語りき
心に、不満ばかり、溜まっていく者は、たいがい、他者への感謝が足りない者である。
心に、不満ばかり、溜まっていく者は、たいがい、孤独な状況に陥っている者である。
心に、不満ばかり、溜まっていく者は、たいがい、知性の欠落している者である。
不満があるということは、なりたい自分がある、ということである。
自分を磨くということは、小さい不満を解消していく、ということである。
不満の多さは、言い訳の多さと、比例する。
貧しさに不満を持っている者ほど、運で、金が入ると思い込んでいる。
暇に耐えられない者ほど、忙しさに、不満を持っている。
家族(一族)に依存している者ほど、家族(一族)に不満を持っている。
恋人に不満があるなら、別れればいい。それが出来ないのは、大した不満ではないからである。
どんな不満を抱きやすいかは、その者の人生を象徴している。
同じ不満を、長期間、抱き続けることは、きっと、厄介な、人生の足枷となる。
不満が服を着て、歩いているような人物には、誰も近寄らないだろう。
不満には、「憎悪」という、関わりたくない、友人がいる。
ある不満を大義に、集まって、出来た団体・・・どうせ、ロクなことをしない。
たいがいの精神的苦悩は、ある種の気取りに過ぎず、大怪我などによる、肉体的苦痛と比べれば、不満のうちに入らない。
単なる極論と、笑われるかも知れないが、極めて健康な者が、不満なんて持つのは、ただの贅沢というものである。
政治は、個人的不満など、解決してくれない。
社会(世間)は、個人的不満など、聞いてもくれない。
神は、個人的不満どころか、人類的不満さえ、聞いてもくれない。
イナシデス、有名人について、かく語りき
世界中の誰もが、称賛すべきことをして、有名になった人物さえも、とどのつまり、ただの人間に過ぎない。
一芸で、有名になった人物は、人間として、何かが、欠落している者が多い。あるいは、何もかもが、欠落している者が多い。
一芸で有名になった人物は、自分は二芸、三芸、持っている、と勘違いしている者が多い。
金があるというだけの有名人を、あまり、誉め過ぎてはいけない。
有名人が、みんな金持ちとは限らない。
残念ながら、今の世の中、人格者というだけでは、有名になどなれない。
残念ながら、今の世の中、見世物でも始めた方が、きっと、有名になれる。
一体、どんな有名人が活躍しているかで、その時代の特徴が分かる。
有名になるということは、神から与えられたチャンス、ではなく、単に、神の悪戯かも知れない。
有名になるということは、遠い親戚に、集合をかけることと、同じことである。
有名になるということは、その容姿を、論評されるということである。
容姿が良い有名人は、更に、有名になれる。
有名になれば、大衆を騙している気分になる。
有名になれば、大衆から、監視されている気分になる。
有名になれば、人間不信に陥りやすくなる。
有名人・・・本当は、誰も知らないことの方が多い。
有名人・・・会えば、たいがい、ガッカリする。
何かで有名になり、月日が流れ、有名人の心得が分かった頃には、大して、有名ではなくなっている。
本物の有名人は、時代も、国境も超える、突き抜けた魅力を持っている。
良いことで、有名になっても、悪いことで、有名になっても、大衆にとっては、単に、色違いの的に過ぎない。