ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、死について、かく語りき

 

 死後の世界というものが、天国や地獄であって欲しくない。無の世界であって欲しいとも、思わない。この世の延長のようで、あって欲しい。

 

 もし、私の寿命が三ヶ月だったとしても、特にやることは変わらないだろう。ただ、暇があったら、何か思索しているだけだろう。

 

 人類は皆、神に裁かれし死刑囚である。また、神は裁判官として、有能とは言い難いところがある。

 

 死が、大昔から哲学の重要な命題であり続けたのは、誰も解明出来ていないからである。

 

 死んだら、どうなるのか?予習ばかりしている生徒は、先生(神)に、嫌われるかも知れない。

 

 死後の世界があると言い切る者も、ないと言い切る者も、本当は、自分の説を信じ切ってはいない。

 

 死を恐れる者は、地獄を恐れているのではなく、未知の世界を恐れている。

 

 自分が天国へ行けると思い込んでいる者、この世にいても、充分、幸せ者。

 

 死を全く恐れない者は、頭の中のどこかが故障しているだけである。

 

 死ぬ気になれば、何でも出来る。例えば、自殺だって出来る。

 

 病人が、やたら死を恐れるのは、死について考える時間が、あり余っているせいである。

 

 医師とは、紳士面した死神と思えなくもない。

 

 神父もまた、紳士面した死神と思えなくもない。

 

 前世、来世を人間が信じ込むのは、人間のさが、その悲しい合理主義ゆえである。合理主義の行き着く先が、非科学的世界とは・・・何て皮肉だろう!

 

 ある貧しい詩人は、生まれ変わったら、鳥になりたいと詩に書いた。私は、鳥なんぞに生まれ変わるくらいなら、人間の方がマシである。ただし、詩人以外の。

 

 私には、特に会いたい人物がいない。しかし、幽霊となら会ってみたいと思う。ただし、私が生きているうちにである。

 

 天国なんか行くより、この世に未練を残し、幽霊のまま、さまよっていたい気が、しないでもない。

 

 馬鹿は、死ななきゃ治らないのか?馬鹿は、死んでも治らないのか?それが問題だ。

 

 死と宇宙の関係について考えている。時間というものも絡ませて。

 

 生は、一瞬である。しかし、死は永遠である。いや、死も一瞬かも知れない。

 

 

 

 

イナシデス、文化と文明について、かく語りき

 

文明は世界中に伝わるもの。文化は、その伝わった文明を、どう仕上げるか?

 

文明は、発見する力。文化は、完成させる力。

 

寒いから服を着るのが、文明。恥ずかしいから服を着るのが、文化。

 

文明の原因は、明瞭である。文化の原因は、曖昧である。

 

文化の中心にあるものは、言語である。文明の中心にあるものは、数字である。

 

良い文明には拡がりがあり、良い文化には吸収力がある。

 

文化は文明を止めることが出来る。文明は文化を進めることが出来る。

 

文明とは、普遍性である。文化とは、国民性である。

 

国家は文明的である。家族は文化的である。

 

文明的な人間より、文化的な人間の方が、魅力的であることが多い。

 

野菜と果実を交換することは、文化的である。しかし、そこに金が入ると文明的である。

 

結婚は文明的である。離婚は、もっと文明的である。

 

母親は文化的である。妻は文明的である。

 

最も代表的な文化的産物。酒と料理。

 

最も代表的な文化的娯楽。文学と音楽。

 

競争、特に戦争をすれば、文明は発達する。

 

文化は、富める時代に発達し、貧しい時代に停滞する。

 

戦争は文明的である。平和は文化的である。

 

文化の発達に終わりはない。しかし、長い停滞期間は、世界中で起きている。

 

究極の文明が完成された時代の後は、人類が滅んでいるような気がしてならない。

 

 

 

イナシデス、隣人について、かく語りき

 

 あの人、もっと気にするべきことがあるのに、占いばかり気にしている。

 

 知識のある人、無駄口多い。知識のない人、いつも同じ話。

 

 人を褒めたがる人、裏のある人。人を貶したがる人、裏を見せているようで、まだ裏がある人。

 

 たいがいの人間は、善でも悪でもなく、軽く嫌な奴。

 

 良い人だけど、気の利かない人もいれば、気が利くけれど、厭らしい人もいる。

 

 何かしそうな人物より、何もしていない人物の方が、怪しい顔をしている。

 

 冷たい人も、温かい人も、別の種類の合理主義者に過ぎない。

 

 不謹慎な人間より、冗談が通じない人間の方が、タチが悪い。

 

 間抜けな自慢したがりは、つい、この間、健康自慢をしていたのに、今は、大怪我自慢をしている。

 

 あの人は、貧しいが決断力がある。きっと選択肢がないせいだろう。

 

 話をしなくても、理解し合えている相手を失うことは、人生において、大変な損失である。

 

 負担しない人より、嫌な人、恩着せがましい人。

 

 運の良い人、秘密がバレない。頭の良い人、誰とも秘密を共有しない。

 

 弱者を責める人も、強者を責める人も、結局、思い上がっている。

 

 偉くなったから、選らそうにする人は、悪い人というより、普通の人である。

 

 人のためにやっている、と言いたがる人間、責任転嫁が巧み。

 

 厄介者の精神力は、人並み以上である。

 

 みんなそれぞれ思い上がっていて、世の中は、下らない小貴族でいっぱい。

 

 大半の人間は、世間を知ったつもりの、世間知らずに過ぎない。

 

 私は、多くの人間が、完璧と評価した者すら、十以上の欠点を発見出来る、性格の悪さの持ち主である。