イナシデス、教育について、かく語りき
子育てで、何より大切なことは、その子供のために、親が、祈り続けることである。
親はなくとも、子は育つ。しかし、子のいない大人は、子のいる大人と比べて、成長する機会を失う。
子供の教育に、暴力を用いることは間違っている。しかし、残念ながら、間違った行為が、良い効果をもたらす、前例もある。
教育に、アメとムチを用いるのは、有効である。しかし、真の教育とは、アメとムチなんて通用しない、そんな人間を作ることである。
良き凡人は、教育で作れる。悪い天才は、教育では作れない。
誰もが、拍手をするような教育は、えてして、大量の凡人を作るだけの教育に過ぎない。
放任主義は、たまに、天才を生み出す。しかし、万に一人の天才を生み出すためだけに、世の中を、野良犬だらけにする訳にはいかない。
「教えたがりの教わりたがり」より、ただの「考えたがり」こそ、優れた人物になりうる。
常日頃、何の疑問も抱けない者に、何を教育しようとしても、無駄である。
誰だって、学校の教師くらいにならなれる。しかし、哲学者にはなれない。
あらゆる芸術の先生は、結局、芸術家に、なり損なった人たちばかりである。
多くの、恋愛の先生気取りは、小理屈ばかりで、実技がともなっていない。
本による教育も悪くはないが、人との関わりによる教育には、かなわない。
知識ばかり得て、品性がともなわない教育は、三流以下の教育である。
大人になるということは、誰かに教わることよりも、自分で気付くことの方が、多くなったということである。
全く、しつけされていない、野良犬や野良猫だって、子孫くらいは残せる。
嫁をしつけたかったら、まず、誉めよ。旦那をしつけたかったら、まず、けなすのをやめよ。
ありとあらゆる、人間の、不幸も、幸福も、神のしつけと思えば、納得せざるえない。
じっくりと、自分自身を見つめよ、そして、自分の周囲も眺めよ・・・そうすれば、さすがの君も、教育の限界について、認めざるえまい。
今日は、特別に、どんな愚人でも、世の中で成功出来る秘訣について、語るとしよう。まず、生まれ変わりなさい、話はそれから・・・。
イナシデス、権力について、かく語りき
女の権力者は、同じ女から、嫌われている。男にも、好かれていない。ゆえに、お世辞を言われると、やたらと喜ぶ。
子供に権力を持たせると、無邪気さと、残酷さが、似たりよったりだと、よく分かる。
誰も、狂人を権力者にしたりしない。権力が、その人を、狂人にしてしまったのである。
権力を手に入れて、性格の悪さが、浮き彫りになるような人間は、権力を持つ、資格がない。
潔癖な、あるいは、潔癖を気取る、権力者ほど、よく人を殺したがる。
権力者は、周囲の人間の意見を、よく聞くバカが一番、ただし、周囲の人間たちが、賢いという、前提条件付きで・・・。
人の話を聞きたがらない権力者は、いつか、誰かに、殺されてしまうだろう。
権力の分散は、平和も築けるし、戦争も勃発させる。
小さな世界の権力者ほど、バカが多い。
中途半端な権力の持ち主は、全く、権力のない者より、かえって、あちこちで、人に頭を下げることになる。
暴力も、また、権力の一部である。
金も、また、権力の一部である。しかも、その社会の文明が、高度であれば、ありとあらゆる強力な暴力を、上回るくらいの・・・。
とにかく、運が良くなければ、権力を手に入れることは出来ない。
どんな権力も、死(運命)には、勝てない。
手に入れた権力が、大きければ大きいほど、自分だけの力では、支え切れなくなる。
権力者を批判したがる者ほど、密かに、権力に対する、強い憧れを抱いている。
権力者を批判したがる者ほど、権力とは、縁遠いものである。性格的にではなく、能力的に・・・。
権力を欲しがらない人間は、何ひとつ、したいことがない人間である。特に、世の中のために・・・。
権力と聞いて、金と色しか、思い浮かばない、これを読んでいるあなたの、低俗さ!
これから、権力を行使しようとしている、権力者に、忠告をすることがあるとすれば、ひとつだけ・・・よく考えてから!
イナシデス、景気について、かく語りき
景気が良ければ、ゴミでも売れる。景気が悪ければ、ゴミでも拾う。
世の中の景気は、自然と同じであって、人間の意志で、どうにか出来ると思うのは、間違いである。
ケチな金持ちが増えたら、世の中は、不景気になる。最良の景気対策は、ケチな金持ちを唆して、金を使わせることである。
節約は、景気の敵である。世の人々に対する、ただの抜け駆け行為である。
景気が良いのは、悪くなる序章、悪くなったら、また、良くなる。
景気が良い時代の若者と、景気が悪い時代の若者では、老後の蓄えが、明らかに違ってくる。
景気が良くも悪くもない時代が、長く続くのは、世代間の公平性という意味では、良いことである。
過剰な好景気も、どん底の不景気も、多くの不正を生みやすくするという意味では、同じである。
好景気とは、二流・三流の人物でも、成功する可能性が上がる、ということである。
不景気とは、成功者が、一流の人物ばかりに、しぼられるということである。
個人の能力が飛び抜けてさえいれば、世の中の景気など、何の関係もない。
商売人が、商品を値上げしたくなれば、好景気の証し、値下げしたくなれば、不景気の証し。
好景気の証しみたいな高額商品は、不景気になれば、格安で、いくらでも、手に入れることが出来る。
景気の良し悪しの、切り替わるタイミングの分かる商売人は、間違いなく、成功する。
商売人というものは、どんなに景気が良くても、儲かっているとは言わないものである。儲かっていると、自慢したがる商売人は、真の商売人ではない。
つまらない商売が増えている時は、景気が良い証し、そして、景気が悪くなれば、その商売は、成り立たなくなる。
景気の良し悪しは、まず、衣食住の変化に表れる。最も景気の良い時は、芸術などの、直接、生活に関係のないものにまで、金が流れる。
金貸しが優しくなると、世の中の景気は良くなる。しかし、金貸しは、後で必ず恐くなる。それが、不景気の始まりである。
借金の踏み倒しの噂ばかり、世の中に蔓延し出したら、それは、本物の不景気である。
永遠の好景気は、人間を醜くするので、神は望んでいない。永遠の不景気も、人間を醜くするので、やはり、神は望んでいない。