ギリシャの哲学者ソーザ・イナシデス名言集

ソーザ・イナシデス(1679生~1731没) 日本で全く無名というだけではなく、祖国ギリシャでも忘れさられた存在。簡潔・明快な短文の名手で、大量の日記と書簡に、多くのアフォリズムを残した。

イナシデス、教育について、かく語りき

 

 子育てで、何より大切なことは、その子供のために、親が、祈り続けることである。

 

 親はなくとも、子は育つ。しかし、子のいない大人は、子のいる大人と比べて、成長する機会を失う。

 

 子供の教育に、暴力を用いることは間違っている。しかし、残念ながら、間違った行為が、良い効果をもたらす、前例もある。

 

 教育に、アメとムチを用いるのは、有効である。しかし、真の教育とは、アメとムチなんて通用しない、そんな人間を作ることである。

 

 良き凡人は、教育で作れる。悪い天才は、教育では作れない。

 

 誰もが、拍手をするような教育は、えてして、大量の凡人を作るだけの教育に過ぎない。

 

 放任主義は、たまに、天才を生み出す。しかし、万に一人の天才を生み出すためだけに、世の中を、野良犬だらけにする訳にはいかない。

 

「教えたがりの教わりたがり」より、ただの「考えたがり」こそ、優れた人物になりうる。

 

 常日頃、何の疑問も抱けない者に、何を教育しようとしても、無駄である。

 

 誰だって、学校の教師くらいにならなれる。しかし、哲学者にはなれない。

 

 あらゆる芸術の先生は、結局、芸術家に、なり損なった人たちばかりである。

 

 多くの、恋愛の先生気取りは、小理屈ばかりで、実技がともなっていない。

 

 本による教育も悪くはないが、人との関わりによる教育には、かなわない。

 

 知識ばかり得て、品性がともなわない教育は、三流以下の教育である。

 

 大人になるということは、誰かに教わることよりも、自分で気付くことの方が、多くなったということである。

 

 全く、しつけされていない、野良犬や野良猫だって、子孫くらいは残せる。

 

 嫁をしつけたかったら、まず、誉めよ。旦那をしつけたかったら、まず、けなすのをやめよ。

 

 ありとあらゆる、人間の、不幸も、幸福も、神のしつけと思えば、納得せざるえない。

 

 じっくりと、自分自身を見つめよ、そして、自分の周囲も眺めよ・・・そうすれば、さすがの君も、教育の限界について、認めざるえまい。

 

 今日は、特別に、どんな愚人でも、世の中で成功出来る秘訣について、語るとしよう。まず、生まれ変わりなさい、話はそれから・・・。

 

 

イナシデス、権力について、かく語りき

 

 女の権力者は、同じ女から、嫌われている。男にも、好かれていない。ゆえに、お世辞を言われると、やたらと喜ぶ。

 

 子供に権力を持たせると、無邪気さと、残酷さが、似たりよったりだと、よく分かる。

 

 誰も、狂人を権力者にしたりしない。権力が、その人を、狂人にしてしまったのである。

 

 権力を手に入れて、性格の悪さが、浮き彫りになるような人間は、権力を持つ、資格がない。

 

 潔癖な、あるいは、潔癖を気取る、権力者ほど、よく人を殺したがる。

 

 権力者は、周囲の人間の意見を、よく聞くバカが一番、ただし、周囲の人間たちが、賢いという、前提条件付きで・・・。

 

 人の話を聞きたがらない権力者は、いつか、誰かに、殺されてしまうだろう。

 

 権力の分散は、平和も築けるし、戦争も勃発させる。

 

 小さな世界の権力者ほど、バカが多い。

 

 中途半端な権力の持ち主は、全く、権力のない者より、かえって、あちこちで、人に頭を下げることになる。

 

 暴力も、また、権力の一部である。

 

 金も、また、権力の一部である。しかも、その社会の文明が、高度であれば、ありとあらゆる強力な暴力を、上回るくらいの・・・。

 

 とにかく、運が良くなければ、権力を手に入れることは出来ない。

 

 どんな権力も、死(運命)には、勝てない。

 

 手に入れた権力が、大きければ大きいほど、自分だけの力では、支え切れなくなる。

 

 権力者を批判したがる者ほど、密かに、権力に対する、強い憧れを抱いている。

 

 権力者を批判したがる者ほど、権力とは、縁遠いものである。性格的にではなく、能力的に・・・。

 

 権力を欲しがらない人間は、何ひとつ、したいことがない人間である。特に、世の中のために・・・。

 

 権力と聞いて、金と色しか、思い浮かばない、これを読んでいるあなたの、低俗さ!

 

 これから、権力を行使しようとしている、権力者に、忠告をすることがあるとすれば、ひとつだけ・・・よく考えてから!

 

 

 

イナシデス、景気について、かく語りき

 

 景気が良ければ、ゴミでも売れる。景気が悪ければ、ゴミでも拾う。

 

 世の中の景気は、自然と同じであって、人間の意志で、どうにか出来ると思うのは、間違いである。

 

 ケチな金持ちが増えたら、世の中は、不景気になる。最良の景気対策は、ケチな金持ちを唆して、金を使わせることである。

 

 節約は、景気の敵である。世の人々に対する、ただの抜け駆け行為である。

 

 景気が良いのは、悪くなる序章、悪くなったら、また、良くなる。

 

 景気が良い時代の若者と、景気が悪い時代の若者では、老後の蓄えが、明らかに違ってくる。

 

 景気が良くも悪くもない時代が、長く続くのは、世代間の公平性という意味では、良いことである。

 

 過剰な好景気も、どん底の不景気も、多くの不正を生みやすくするという意味では、同じである。

 

 好景気とは、二流・三流の人物でも、成功する可能性が上がる、ということである。

 

 不景気とは、成功者が、一流の人物ばかりに、しぼられるということである。

 

 個人の能力が飛び抜けてさえいれば、世の中の景気など、何の関係もない。

 

 商売人が、商品を値上げしたくなれば、好景気の証し、値下げしたくなれば、不景気の証し。

 

 好景気の証しみたいな高額商品は、不景気になれば、格安で、いくらでも、手に入れることが出来る。

 

 景気の良し悪しの、切り替わるタイミングの分かる商売人は、間違いなく、成功する。

 

 商売人というものは、どんなに景気が良くても、儲かっているとは言わないものである。儲かっていると、自慢したがる商売人は、真の商売人ではない。

 

 つまらない商売が増えている時は、景気が良い証し、そして、景気が悪くなれば、その商売は、成り立たなくなる。

 

 景気の良し悪しは、まず、衣食住の変化に表れる。最も景気の良い時は、芸術などの、直接、生活に関係のないものにまで、金が流れる。

 

 金貸しが優しくなると、世の中の景気は良くなる。しかし、金貸しは、後で必ず恐くなる。それが、不景気の始まりである。

 

 借金の踏み倒しの噂ばかり、世の中に蔓延し出したら、それは、本物の不景気である。

 

 永遠の好景気は、人間を醜くするので、神は望んでいない。永遠の不景気も、人間を醜くするので、やはり、神は望んでいない。