イナシデス、自尊心について、かく語りき
自尊心のない者は、自尊心のある者を責めない。しかし、自尊心のある者は、自尊心のない者を、やたらと責めたがる。
自尊心の問題というものは、結局、誰からも、馬鹿にされたくないという、問題に過ぎない。
自尊心を誇示したい者は、その辺にいる皮肉屋たちの、標的になりたい者でしかない。
高い自尊心は、あちこちに、敵ばかり作る原因になる。低い自尊心は、誰からも相手にされない、原因になる。
自尊心は、高過ぎても、低過ぎても、嘘つき予備軍である。
自尊心のない者は、すぐに、犯罪に走る。自尊心のある者も、時には、犯罪に走る。
自尊心をテーマにすれば、悲劇も喜劇も、どちらでも、書けることだろう。
激しい、自尊心のぶつかり合いは、きっと、誰かを、孤独にする。
自尊心のことばかり、考えている者には、滅多に、チャンスが巡って来ない。
本当に、自尊心の高い男は、女を口説けない。本当に、自尊心の高い女は、男に甘えられない。
自尊心とは、高尚に見える、足枷のようなものである。
誰かのために、自尊心を捨てるという話は、ただの言い訳に過ぎない。
自尊心は、心の病みたいなものである。つける薬があるとすれば、それは「大きな失敗」である。
自尊心を失うのは、簡単である。不幸になればいい。
死を覚悟していない者の自尊心など、たかが知れている。
凡人が、自尊心だと思っているものは、たいがい、虚栄心である。
人間に、自尊心が無くなれば、自殺者の数も、大幅に減るだろう。
平和主義者には、自尊心が感じられない。好戦的な者は、自尊心のことばかり、こだわり過ぎる。
自尊心の高い者は、喋らない、笑わない、人気がない。
人間は、自尊心について、常に考えていなければいけないほど、良く出来た生き物ではない。
イナシデス、嫉妬について、かく語りき
本妻に嫉妬する愛人は、図々しい。愛人に嫉妬する本妻は、夫を信用していないか、自分に自信がない。
女の嫉妬は、恋愛から、男の嫉妬は、仕事から、生まれることが多い。
嫉妬を全くしない人間は、よほどの好人物か、よほど、思い上がった人物である。
友人を嫉妬してしまうのは、誉められた感情ではないが、特に、珍しい話ではない。
危険を恐れない者の成果を、危険を恐れているだけの者が、嫉妬してはいけない。
嫉妬的感情は、自分を磨くためにあり、他人を、陥れるためにあるのではない。
誰かを攻撃する理由の中に、嫉妬の感情が、大きく占めている時は、その攻撃を、中止しなければならない。
三流以下の人物が、超一流の人物を嫉妬することの、滑稽さ!
超一流の人間と、どうしようもない人間は、誰からも、嫉妬をされることがない。
誰かの嫉妬を、煽るようなことをすれば、その火の粉は、必ず、煽った者にも飛んで来る。
嫉妬深い者が、人を裁くことは、危険なことである。
正義や怒りの中にも、嫉妬という成分。
嫉妬深い人間に、権力を与えるということは、自殺行為というより、心中行為である。
嫉妬深い者は、たいがい、自分を高く見積もっている。
嫉妬深い者ほど、それを必死に隠そうとする。しかし、その者が、嫉妬することは恥ずかしいと、認識しているだけ、マシである。
中途半端な成功者ほど、嫉妬深い者が多い。
身の程を知れば、自然と、嫉妬の感情も、抑え込めるようになる。
嫉妬深い人間は、自己を肯定したいのに、自己を否定している、矛盾した人間に過ぎない。
自由に生きる者が、嫉妬されるのは、仕方ない。しかし、自由に生きているように見えるだけの者が、嫉妬されるのは、同情に値する。
人に裏切られるばかりが、人間不信の原因ではない。人に嫉妬され続けて、苦悩した人間も、やはり、人間不信に陥る。
イナシデス、教育について、かく語りき
子育てで、何より大切なことは、その子供のために、親が、祈り続けることである。
親はなくとも、子は育つ。しかし、子のいない大人は、子のいる大人と比べて、成長する機会を失う。
子供の教育に、暴力を用いることは間違っている。しかし、残念ながら、間違った行為が、良い効果をもたらす、前例もある。
教育に、アメとムチを用いるのは、有効である。しかし、真の教育とは、アメとムチなんて通用しない、そんな人間を作ることである。
良き凡人は、教育で作れる。悪い天才は、教育では作れない。
誰もが、拍手をするような教育は、えてして、大量の凡人を作るだけの教育に過ぎない。
放任主義は、たまに、天才を生み出す。しかし、万に一人の天才を生み出すためだけに、世の中を、野良犬だらけにする訳にはいかない。
「教えたがりの教わりたがり」より、ただの「考えたがり」こそ、優れた人物になりうる。
常日頃、何の疑問も抱けない者に、何を教育しようとしても、無駄である。
誰だって、学校の教師くらいにならなれる。しかし、哲学者にはなれない。
あらゆる芸術の先生は、結局、芸術家に、なり損なった人たちばかりである。
多くの、恋愛の先生気取りは、小理屈ばかりで、実技がともなっていない。
本による教育も悪くはないが、人との関わりによる教育には、かなわない。
知識ばかり得て、品性がともなわない教育は、三流以下の教育である。
大人になるということは、誰かに教わることよりも、自分で気付くことの方が、多くなったということである。
全く、しつけされていない、野良犬や野良猫だって、子孫くらいは残せる。
嫁をしつけたかったら、まず、誉めよ。旦那をしつけたかったら、まず、けなすのをやめよ。
ありとあらゆる、人間の、不幸も、幸福も、神のしつけと思えば、納得せざるえない。
じっくりと、自分自身を見つめよ、そして、自分の周囲も眺めよ・・・そうすれば、さすがの君も、教育の限界について、認めざるえまい。
今日は、特別に、どんな愚人でも、世の中で成功出来る秘訣について、語るとしよう。まず、生まれ変わりなさい、話はそれから・・・。